きぬえの「本は読みよう」第2回
- 作者: 津島佑子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/11/28
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頭から離れないのは、自然の奔放や性の悦楽を賛美する明彦とともに「エロ学」に励むミーチャの結婚生活だ。言論界は「新しい恋愛」の季節を迎え、「エロ」は当時の流行語だった。とはいえ、主婦業、夫の原稿の清書と索引作り、そのうえフランス式産児制限を称揚する一方でコンドームの装着に不熱心な夫との夜ごとの「エロ学」の実践にと、三重労働にミーチャの身はボロボロになっていく。息子は満一歳で死んでしまうし。新進の学者の妻の生活とはこんなだったかもしれない。女の「子宮」は、「冷感症」というレッテルは、そして女の「月のもの」は男の快楽のためにあるのか、とミーチャの内心の声が叫ぶ。生殖を軽んじた性の快楽の思想と、女の体をもったミーチャの間にある決定的なすれ違い。植民地の監視社会を背景に、だんだん「自分の領分」を失っていくミーチャが狂気の境をさまよう光景は圧巻だ。一葉の「にごりえ」の中の、お力の独白夢遊の場面を想起させる。
ミーチャとリーリーの二重奏に、不思議な日本語が小説の後半を縫っていく。リーリーが現地で知り合った本島人の男性ヤンさんがしゃべる日本語だ。四十歳くらいの彼は被植民地の記憶を生きる世代だが、「百歳」の先住民のおばあさんは流暢な日本語を話し、ミーチャの手紙と日記は歴史的仮名遣い。このようにポストコロニアルな、重層的な日本語を取り込みながら、この物語の最後は、台湾とも限らない島で、赤ん坊を背負った登場人物たちが旅に出る、いわば再生のイメージで閉じられる。読み終えて語り手が誰かも、よくわからない。おそらく著者は、現代の神話的な物語を企んだのであろう。さあ、あなたのタマシイが呼び寄せられるかどうか、この小説が試されている。(谷口絹枝)