「深夜読書のススメ」その5/「神様」が教えてくれたこと…高橋源一郎「大人にはわからない日本文学史」

この人の本を読んでなければ、私の人生、少し違った色合いになったかもしれない。それほど作家・高橋源一郎は、私にとって大きな存在だ。最初に目にしたのは朝日新聞文芸時評あたり。それからデビュー作の「さようなら、ギャングたち」などを読み始め、周りがハルキやエイミに染まっても、私は一途にゲンイチロウ。なぜなら稀代の読書家であり、すぐれた評論家でもある高橋源一郎は、いつも新しい作家や詩人、そして文学を教えてくれたからだ(伊藤隊長を知ったのも「伊藤比呂美は僕の妹なのである」と言う源一郎さん経由)。はたちのころから私を導き続けてくれた、かけがえのない「神様」なのである。

さて、神様は近年、日本近代文学草創期に出掛け、小説の来し方行く末を考えておられる。その果実が小説「日本文学盛衰史」や、読むたびに新しい発見がある評論「ニッポンの小説 百年の孤独」などの大作であり、新刊の「大人にはわからない日本文学史」である。

大人にはわからない日本文学史 (ことばのために)

大人にはわからない日本文学史 (ことばのために)

樋口一葉綿矢りさを並べて本当のリアリズムとは何かを検証し、31歳フリーター赤木智弘が「希望は、戦争。」という前置きして論じた「『丸山眞男』をひっぱたきたい」と石川啄木の「時代閉塞の現状」の底に流れる思想を問う。ケータイ小説田山花袋の「蒲団」はなるほど、そっくりだ。「『日本文学戦争』戦後秘話」の項では、穂村弘が短歌論「短歌の友人」で紹介した「みすぼらしい等身大の『私』のリアリズム」について考える。「私」を獲得するための「戦い」。それに敗れて「人生」ということばを、これまで武器、道具、玩具として使ってきたことばを使えなくなった「敗戦後」の文学に残された希望は何か−。

神様に出会ったころ、湾岸戦争があった。現実離れしてみえた戦争を前に、私にとってのリアリズムを確かめたくて小説を読んだ。その後も多くの戦争があり、大災害があり、経済危機があり、9・11も経験した。文学を生みだす共同体、社会の在り方の変化は、肌で感じている。小説は「OSを更新するときにきている」と神様はいう。しかし個人の、リアルなことばによって語られる限り、文学は「生きにくさ」を抱える人に寄り添うものであり続けると思う。心に深く響く作品に出会い、「生」を実感する喜び。神様が教えてくれたのは、文学と、それらを生み出し続ける人間への信頼なのかもしれない。(小野由起子)