きぬえの「本は読みよう」第5回

 <女性文学>という言葉が、<女流文学>という規定のされ方に異議申し立てをして活字媒体に現れ始めてから、20数年が過ぎる。女性特殊の表現ジャンルであるかのように分類された<女流>の成立は、明治30年代から40年代にかけてとみられている。<王朝女流文学>という用語でいえば、1960年頃から頻出するという調査もある。そう、<女流>は女の書くものはこういう特徴があるはず、という期待に基づいた批評のための用語としてあり、しかも<男流>という対応語をもたないのである。作品評価に性別が持ち込まれるのは、女性が書き手の場合だけということになる。さらに興味深いのは、<女流>の規定が、近代散文としての言文一致体の確立に伴ってなされていることだ。周知のとおり、言文一致体は山手の男性のことばを基盤にして、そのことを性別のないもののようにしてつくり出された文体である。女が書くことにまつわる問題が、近代散文がジェンダー中立を装った問題とどこかでつながっているといえよう。現在もなお、詩と散文において文体へのあくなき挑戦をつづける伊藤比呂美の背後に、そのことが確かにかかわっていると思う。

第三の性―はるかなるエロス (河出文庫)

第三の性―はるかなるエロス (河出文庫)

いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論

いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論

 近代散文と女性の書き手との間にある漠然とした亀裂。戦後の1960年、これに自覚的な表現を与えてデビューした作家に、前回この欄でとりあげた倉橋由美子がおり、また同時期、詩人として出発し、その後小説に転じた富岡多恵子がいる。さらに、性愛・妊娠・分娩に伴う感覚や意識を男の借り物でない概念と言葉によって思想化すべく奮闘した森崎和江(『非所有の所有―性と階級覚書』『第三の性』など)、その影響を受けたのが1970年に登場したウーマン・リブたち。リブを代表する一人である田中美津は、社会から意味づけられる「女であること」と生身の「女であること」との間で二者択一ではなくとり乱し、とり乱した「女」をまるごと引き受けることを女の思想とする(『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論』1971年)のだが、その一方で、倉橋はすでに60年代後半には、「女」に依拠する発想を拒む方向へ進んでいた。女をめぐる不条理な意味づけに抗して、女性身体を語ることがいかに困難な時代だったか。
樹下の家族 (朝日文庫)

樹下の家族 (朝日文庫)

 そこで、干刈あがた、を呼び出してみる。離婚を体験した都市に住む主婦とその子どもたちの日常を描いた作品系列で知られている作家だが、女たちの性を語った小説も忘れ難い。この作家の話し言葉に傾いた、一見ユーモアのきいた読みやすい文体は、既成の文章の言葉からこぼれ落ちてしまう世界を表現する苦闘のなかで自覚的に選ばれたものだ。1982年にデビュー作となった「樹下の家族」には、離婚に踏み切る前の「私」の魂の彷徨が描かれる。「片足は現代人の岸に片足は生物の岸にひっかけ、急速に離れていく両岸のために股裂きになりそうになりながら、女性性器に力をこめて踏み耐え、失語症的奇声を発するこっけいな女性闘士(アマゾネス)にならざるを得ません」。主婦の内部で進行していた生き難さと、家庭から夫を奪う経済優先の現代文明を小説の言葉として対置させる。「女であること」に亀裂をみてとり乱すことばに、その可能性が託されているといえよう。
 <女性文学>という用語も、いつか不要になるときがくるのか。それとも、ことばの世界に新しいスタイルをつくり出す磁場として、肉体の性にかかわりなく発展するだろうか。(谷口絹枝)

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