深夜読書のススメ」(番外編)/娘が涙を拭いてくれるから…「今田淳子展」〜8月2日、熊本市現代美術館

(いつも最近読んだ本について思ったことをつづっているけれど、今回は大切な友人であり、尊敬するアーティストである今田淳子さんの展覧会について書きたい。1971年熊本市生まれ、ミラノ在住。誰よりも正直で豪快な笑顔が似合う、美しく魅力的な人だ。)
今田淳子展1
春の綿雲のような素材で作られた、かわいらしい象の親子。貝殻がきらめく砂浜を切り取ったような、ダイナミックな板状のインスタレーション。今夏、熊本で発表された今田さんの作品は、ふわふわとして優しげで、温かさに包まれている。作品を形作る白いポリエステルフォームの下から覗くのは、テラコッタで出来た無数のピース。幼い娘とともに作ったという、かわいらしい、色とりどりの小さなオブジェだ。

それらのピースに、胸をわし掴みにされた。なんて生き生きとしているのだろう。小さな花やちょうちょ、魚、いろんな表情をした子どもの顔。それらはふたりにとって、日々の生活の記録であり、過ごしてきた時間そのものだ。娘とともに生の証を刻んでいきたいという思いは、アーティストとして、母としての、本能みたいなものなのかもしれない。そして、そこには、涙の跡も見える。ささやかだけど確かな営みを記録することで、苦悩と絶望を乗り越えたい、その先にある未来が信じたい−。喪失の悲しみを知る者であればだれでも、彼女の作品のすみずみに満ちている「祈り」を探り当てるだろう。

今田さんはとても真面目なアーティストだ。イタリアに身一つで飛び込んで、体中すべての筋肉を鍛えあげるトレーニングを自らに課すかのように、さまざまな素材と表現方法に取り組み地道に作品を作り続けてきた。そのひたむきさは、制作だけではない。異国で暮らす上でのさまざまな障害やわずらわしい人間関係、家族を失った経験など、どんな困難にも決して逃げずに、真正面から向き合ってきた。自らが弱い存在であることを体験して彼女はより強くなり、愛する人を失った痛みを感じて希望を呼び覚ましてくれる、小さな新しい命の輝きを賛美する。「再生」への、力強い息吹に満ちた作品として。

アウェーで生きる今田さんにはこれからも、数々の喜びや厄介事が待ち受けているに違いない。だけど、娘とともに生きる日々が涙を拭いてくれ、歩き続けるパワーをくれる。そしてわたしも、ポリエステルフォームの中で、ピースたちが奏でるおしゃべりを思い出しながら、人生という愛しい物語をまっすぐに見つめたいと思うのだ。(小野由起子)
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