「深夜読書のススメ」その8/死ぬのが怖くなくなる場所・・・よしもとばなな「まぼろしハワイ」(幻冬舎)

それまであまり興味がなかったのに、きれいな海と色鮮やかな花が見たくなってハワイへ出かけたのが3年前。その1回で、すっかりとりこになった。町に流れる空気が心地よいし、波の音を聞きながら暮れていく空を眺めていると、今こうして生きて、やがて死んでいくということが、ごく自然のこととして受け入れられたのだった。旅先では感受性が鋭くなるものだけど、「死ぬのが怖くなくなる」、そんな気持ちになったのはハワイだけだ。

よしもとばななの「まぼろしハワイ」は、愛するパパを失った娘と妻(といっても、義理の親子である2人の年齢はあまり変わらない)が、欠けたピースを探すようにハワイを訪ねる、その数日間を描いた小説だ。娘(オハナ)は幼いころ、自殺した実の母と3人でよくオアフに来ていたし、フラダンサーである妻(あざみさん)はハワイ育ち。地上ではもう会えない、それでも会いたい人たちに思い出の中で出会っていく2人の心が、ばななさん特有の、イノセントな表現全開で記される。ホテルの「部屋のすみっこで夜明けにさめざめと泣いていたママ」の、身を切るようなせつなさ。あざみさんが預けられていたマサコさん宅の「これ以上大きくなることはなかったんじゃないか」と思われる古い子供の写真。死の直前、音信不通だったおばの家で「懐かしい、懐かしい」と涙をこぼしながら食パンやあんぱんを食べていたパパ。神様が髪の毛をそっとなでたみたいなフラ、あたたかい風と太陽の光と移りゆく時間が変えて行く景色。

「なんで時間は過ぎてしまうんだろう、どうして愛する人はみな逝ってしまうんだろう。私はどうしてそれに対してなにもできないんだろう」。答えが出ることはない、でもそう問いかけずにはいられない、悲しみも多い人生というものに、ハワイは「きらきらした粉をかけてくれる」、とオハナは感じる。そう、だからきっと、人はハワイにひかれるのだ。ゆったりとした美しい世界を前に心を開けば、生と死、喜びと悲しみは表裏一体であることに気づく。だからこそ命は輝き、いとおしいのだ、と。

今年はハワイに行けなかったかわりに、この本を読み直した。お盆を過ぎ、セミの声がやみ、夏の日差しが和らぎ始めると、わたしも「地上ではもう会えない人」に会いたくなる。読むたびにオハナやあざみさんと同じく号泣してしまうのは、ばななさんの作品がわたしにとって「きらきらした粉」だからだろう。いつ読んでも、心が浄化される。ハワイの海の、包み込むような波の音を思い出す。(小野由起子)

まぼろしハワイ

まぼろしハワイ