「深夜読書のススメ」その10「頑張れー」の声を一身に受けて・・・伊坂幸太郎「あるキング」(徳間書店)

あるキング

あるキング

先月読んだ伊坂幸太郎「あるキング」の余韻が、今も消えない。伊坂幸太郎と言えば、今をときめく人気作家。数冊しか読んでいない“流しの客”である私が語っていいのかな、とためらいを感じたが、この不思議な読後感について、ちょっと考えてみたいと思ったのだ。地方弱小球団「仙醍キングス」の熱狂的ファンである両親のもとに生まれ、キングスに入団してチームを優勝に導く野球選手となるべく育てられる、1人の天才「山田王求(おうく)」の物語。作家自身が宮城県仙台市在住であることや、仙台に本拠地を置く「東北楽天イーグルス」の快進撃と相まって、ワクワクしながらあっと言う間に読み終わり、幕を下ろしたはずの王求の存在が、なぜ心の片隅に残り続けるのか。

同僚の伊坂ファンに言わせると「これまでのエンターテインメント作品とはだいぶ違っていて戸惑った」そうだ。確かに、「これからどう展開するか分からない」手に汗握るストーリーを楽しむというよりは、「こうなるように定められている」道筋を、神のような大きな存在が物語っているような感じだ。グリム童話みたいな擬古典的な味わいもある(魔女を連想させる黒衣の3人まで出てくる)。天才ゆえに疎まれてしまう王求の心のうちや狂信的なまでの両親のふるまいの理由などは解説されることはなく、残酷で気まぐれな現実が、「王が求め、王に求められる」少年が乗り越えるべき試練として描かれていく。王求はグチひとつ言わずにそれを当然の運命として淡々と生き、「雨雲に満ちた夜空はおろか、ありとあらゆる不安を吹き飛ば」す本塁打を打ち、23歳で死んでいく。「頑張れー」の声を一身に受けて。

人に多くを期待され、人を超えることを求められ、しかし超えた瞬間に人はその存在に一抹の疎ましさを感じる。それが天才の宿命なのだろうか。憧れと賛美を込めて「頑張れー」と声を掛けられるヒーローは、王求の父のように「頑張れー、って言うだけで頑張れるんだったら楽だよな」などとは言わない。ただ無言で、命を削って、満身創痍になりながら自分の果たすべき役目を果たす。その孤独の深さはどれほどか。一方、「頑張れー」と外野から声援を送る私たち凡人は気楽なものだ。たとえその時には切実な思いがあったとしても、勝負は人に託したのだから。

キリストみたいだ、と思った(宗教的知識は何もないけど)。ジャンヌ・ダルクジョン・レノンオバマ、ビンラデインも連想した。「天才」という存在は、人々の聖なる祈りと強い悪意を集める。その感情が表裏一体であることを私たちは忘れがちだ。無口な王求の瞳が映し出すのは、そんな人の心の在り様なのかもしれないと思った。(小野由起子)