きぬえの「本は読みよう」第12回

ひょんなきっかけから、むしょうに読みたくなる本がある。今回は、1979年に刊行され、2006年に復刊された野呂邦暢の連作の長編小説『愛についてのデッサン』がそれだ。ちょっとしゃれたこの小説のタイトルは、野呂が愛読する丸山豊の詩集『愛についてのデッサン』からとったものだ。丸山豊(1915−1989)は久留米市に在住する医師であり、詩人でもあった。彼が主宰した詩誌『母音』からは、谷川雁森崎和江安西均川崎洋らが育っている。

愛についてのデッサン――佐古啓介の旅 (大人の本棚)

愛についてのデッサン――佐古啓介の旅 (大人の本棚)

私は、野呂の著書である『失われた兵士―戦争文学試論―』(葦書房、1977年。芙蓉書房出版、2002年復刊)のページをたまたま繰っていた。十二歳で敗戦による国家の変貌を経験した著者が、「日本人とは何者か」を考えずにはおられず、書き手の有名・無名を問わず、戦記を渉猟して書いた労作だ。そのなかで「生者と死者」と題した第5章の全部を割いて、全滅に等しいビルマ戦線を経てきた丸山豊の『月白の道』(創言社、1970年、1987年新訂増補版)をとりあげていた。なまなかなことでは語ることのできない「人間性」の両義性を語る言葉をもった、同書への信と感動を真率に綴った文章に出会った私は、思わずからだがふるえてしまった。かつて丸山の同書を読んだ時の衝撃を、私はまだ表現することができないでいたからだ。丸山豊をこんなふうに敬愛してこそ付けられた小説のタイトルだったのだ。
月白の道

月白の道

『愛についてのデッサン―佐古啓介の旅―』の主人公である二十六歳の青年啓介は、急死した父の後を継いで中央線沿線に位置する古本屋「佐古書店」の店主となった。古書を媒介するさまざまな事象や男女の仲を中心とする人間関係の絡みを解き明かす六話から成り、各篇がゆるやかに繋がりながら展開する。たとえば、夭折したS氏賞詩人の肉筆原稿に埋め込まれた謎(「燃える薔薇」)、詩集『愛についてのデッサン』をめぐる啓介の青春の彷徨(表題作)、高値の限定本や貴重本ばかりをねらう本泥棒(「本盗人」)、故郷の長崎に二度と帰らなかった啓介の父の過去(「鶴」)というように、まるで推理小説かサスペンス仕立てのような筋運びは、文句なしに読ませる。描写も上手い。そして、どの篇にも登場人物に関わらせた詩が挿入され、初出の連載の半年間(『野生時代』1978年7月〜12月)とともに作中の季節が移りゆき、舞台は啓介が出張する長崎に始まって、父の秘密を訪ねる長崎で終わる構成など、技巧の凝らしようはこの作家の本領であろう。だからといって、エンターテインメントの小説ではないのだ。現実に起きた事象を解きほぐすが、人の心は解き明かされない。心は他人はもとより、当人にさえ、つかみにくいものかも知れない。素描に色づけしたくなるような想像力を喚起する小説だ。
小説のサブタイトルにいう佐古啓介の「旅」は、おそらく啓介が古本屋の主人として成熟していく道しるべの意味であろう。「売れるものならなんでも売ろうとは思っていなかった」啓介の志が、いつしか「株式仲買人とさほど違わないものの考え方」に染まっていることに気づかされる苦い思いを扱った「若い砂漠」の一篇は、圧巻といえよう。打算と名誉欲の虜になった芥川賞ねらいの才走った若い男の空虚さに、屑屋になったもと小説家の老いた男が安西均の詩集を買い求める古本屋での光景を対比させ、心に響く。
それにしても、啓介の妹友子の主人公に都合のいい役回りといい、男女の関係といっても「女の気持ちというものは永遠に謎」式の男のロマンを投影する角度からの女性像には、あなたもかと思わないわけではない。が、これだけの手ざわりのある小説を書く野呂邦暢の四十二歳での早すぎる死が惜しい。みすず書房からの復刊は既に品切れである。(谷口絹枝)