橙大学第二回終了


佐多稲子「キャラメル工場から」
社会化した<少女>のゆくえ


無事に終了しました。
おいでくださった方、ありがとうございました。


「<少女>のゆくえ」について、少し考えてみました。


「ひろ子」と「彼女」の使い分けについて言及がありましたが、
最後の場面、すべて「彼女」と表記されています。
学校に行きたい、戻りたいと思い涙する一方で、すでに労働者として生きているひろ子が描き出されているはずです。


雨宮処凛の指摘のように、心まで浸食された瞬間をもつひろ子は、
「ひろ子」個人と「彼女」という女工一般との間を行き来してはいますが、
馬鈴薯の皮を剥けないのは「ひろ子」でも、それは既に労働の現場にいる「ひろ子」であって、
ある程度「彼女」としての立場に近いと思われます。
先生の手紙は、「ひろ子」に引き戻される瞬間を描いたものであったのではないでしょうか。
そしてあの涙は、もう純粋に「ひろ子」として生きていくことがかなわなくなったことを意味する涙だと考えます。



なんだか漠然と書いてしまいましたが…
そんなことを考えながら聞いていました。



次回は10月22日、岡本かの子「河明り」を扱います。
お楽しみに。


橙大学助手