イギリスで読んだ「倫敦塔」3(奥山文幸)

近代文学研究」第26号(日本文学協会近代部会、2006年4月発行)より著者の了承を得て転載。

 「倫敦塔」の最初のパラグラフ、「二年の留学中只一度倫敦塔を見物した事がある」から「『塔』の見物は一度に限ると思う」までは、「一度に限ると思う」という個人的な断定を、読者にいかに必然と思わせるかが叙述の中心になっている。「思う」ことの論理的根拠を付けるというよりは、強引にでもそう「思う」主人公〈余〉の性格を連想させることに重点をおいた描写になっている。これは、〈余〉の登場の方法として、漱石の初期作品で繰り返されることになるだろう(後に述べるように、私は、これを漱石の体験談エッセイとして読むよりは、文学的出発の問題として読もうとしている)。
 検討したいのは、次の第二及び第三パラグラフである。まずは、第二パラグラフを引用する。


 行ったのは着後間もないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは固より知らん。まるで御殿場の兎が急に日本橋の真中へ抛り出された様な心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾が神経の繊維も遂には鍋の中の麩海苔の如くべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今更の如く大真理と思う折さえあった。


 レトリックとして、これは誇張法のようでもあるが、そうではない。「表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑」うという表現は、不安の程度を表しており、見知らぬ国に頼りもなく来てしまったことから発生する常住坐臥に連続する根源的不安、漠然としてはいるが強い不安の比喩と捉えた方が、妥当だろう。短期間で帰国するような旅行者の視点からはこのような不安は生まれてこない。「この響き、この群集の中に二年」住まねばならぬという生活者の視点からこそ、この根源的不安は生まれてくる。
 ここで私がまず注目しておきたいのは、「方角もよく分らん」という叙述である。方角という言葉は、一般的には空間的方向や方位を示すが、転じて心理的な方向性や手だてを示すこともある。さらに「方角もよく分らん」という文章になると、それぞれの場面のコノテーションの機能にもよるが、空間的な方向が分からないという表層的な事実だけでなく、空間的な方向も分からないがゆえに、あるいは、分からないほどに、不安であるという心理的描写にもなってくる。
 方角に関して、漱石の小説における用例は、それほど多くはない。かつ、空間的方向を示すものが多く、心理的描写に傾いていく用例は比較的少ない。試みに、作品ごとに方角の用例数を示すと、次のようになる。ちなみに、括弧内の数字は用例数である。「我が輩は猫である」(11)、「倫敦塔」(3)、「坑夫」(8)、「二百十日」(3)、「野分」(1)、「草枕」(2)、「坊っちゃん」(2)、「虞美人草」(6)、「三四郎」(6)、「行人」(9)、「こころ」(9)、「それから」(6)、「彼岸過迄」(12)、「道草」(7)、「明暗」(29)。
 見知らぬ土地や場所にきて、方角がわからなくなる状況を描いたものとしては、「倫敦塔」のこの場面以外には、「二百十日」や「坑夫」など、初期の作品が多い。それが、「明暗」になって、方角という言葉の用法も用例数も大きく飛躍することになる。
 方角の用例を検討する限り、「明暗」は特例とも言うべき作品である。まず用例の数が、二九例と格段に多くなる。その多くは、空間的な方向をしめすものだが、後半に至って、空間性とは関係なく、心理的な方向性や手だてを示す描写が目立つ。また、方角がわからなくなる状況も、漱石の小説で唯一「明暗」だけは、旅館という場所のなかで方角に迷うという設定になっている。津田が、吉川夫人の勧めによって清子に会いに行った温泉宿の場面である。おそらく、この場面での方角喪失を巡る描写は、津田の心の暗黒を表現するための重要な要素になっているはずである。
 「倫敦塔」から「明暗」まで、方角という言葉の使われ方がどのように変化していったのかを詳しく述べる余裕は今はないし、また、本稿の目的でもないので、話を「倫敦塔」に戻すが、確認しておきたいのは、方角喪失を巡る表現が、漱石の創作活動の最初と最後において、ひとつの重要な鍵になっているという事実である。

「4」へ続く

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