きぬえの「本は読みよう」第8回
1960年前後から、近代家族を描いた小説が目につくようになった。サラリーマンの夫と専業主婦の妻に、子ども二人を標準とする日本型近代家族が一般化したのが、高度成長期だったからだ。女たちは、男女平等を掲げた戦後をいわば新しい<良妻賢母>規範で生きることになった。近代家族の内部では、家計を維持するために家の外へ外へと向かう男たちと、「妻」「母」役割だけに期待がかかるようになった女たちとの間で、会話不通状態が進行し、文学に恰好のテーマを与えたようだ。庄野潤三の「プールサイド小景」(1954年)あたりから拾って現代までとびとびに辿ってくると、<戦後家族の物語と女の生への欲望>といった断面が切り取れる。
大庭みな子の「山姥の微笑」(1976年)は、<良妻賢母>を体現した女性の内面を、愛情や介護の名の下に夫や子どもを食って生きのびる形をとった、自己中心的な生への欲望として表現した。山姥伝説を取り込んだ寓話の方法にして、<良妻賢母>への違和感を欲望に重ねて映しだすことができたといえよう。高度成長を支える役割を果たしてきた戦後家族のさまざまな揺らぎの体験が、文学にも現われてくる。黒井千次の短編連作である『群棲』(1981−84年)の中の「手紙の来た家」では、夫の両親との同居をめぐり、妻が夫に対して夫の決定を受けいれるいつもの妻ではなく、個の立場からのプライドをつきつける。一方、夫にとっては、妻の内面があたかも理解不能な混沌を秘めたものとして立ちはだかる。作品は、家庭の中の堆積された日常の時間を、すれ違う夫婦の心象風景として幻想的に浮かびあがらせ、その表現技巧は黒井文学の達成点ともいえる。しかし、夫婦の日常を成り立たせている性別役割分業への違和感が掴まれるわけではない。
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